2008年3月27日 (木)

我孫子武丸『狩人は都を駆ける』

風邪で倒れていましたが、ほぼ治りました。

周りの方には、ご心配をおかけしました。

我孫子武丸の『狩人は都を駆ける』(文藝春秋、1333円)という短編集があります。

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舞台は京都。。。

動物嫌いの私立探偵「私」のもとに、同じビルで動物病院を経営している沢田からペット関連の調査依頼が持ち込まれる。

「私」は「猫探しならやらんぞ」というポリシーをいちおうは持っているものの、何しろ〈個人事務所を開業してはや六ヶ月〉、〈わずかばかりの貯えも底をつきそうで、アパートの家賃も、二ヶ月滞納している。このままだとアパートを引き払ってこの事務所に寝泊りするしかないかもしれない〉状態。結局は引き受けてしまうのである。

表題作「狩人は都を駆ける」は、原稿用紙200枚ちょっとの中編。

あとは、原稿用紙70枚から80枚くらいの短編小説集。

「狩人は都を駆ける」……左京区下鴨に住む藤井喜美子という気難しい老女の飼うドーベルマン・雷蔵が誘拐され、身代金1000万円が要求された。「私」が犯人との交渉役を依頼された事件。。。

「野良猫嫌い」……先斗町のクラブで働く、みひろという女の子の住んでいる左京区のマンションの周辺で、猫の連続惨殺事件が起こっていた。その謎に「私」が挑む。。。

「狙われたヴィスコンティ」……ドッグショーで入賞候補のシーズーのヴィスコンティに「出場をとりやめろ」という脅迫状が送られてきた。そのヴィスコンティのボディガードを「私」が依頼された事件。。。

「失踪」……「私」の事務所と同じビルの地下一階にある「ノワール」というスナックのバーテンの野口くんが持ってきた事件。彼の恋人が飼っていた猫が失踪した。近所では、「猫さらい」ではないか、という噂が流れている。。。

「黒い毛皮の女」……雨の夜、狭い一方通行路で「私」は小さな黒猫を轢いてしまった。沢田の病院で救急の処置をしてもらって、飼い主探しを始める「私」。。。

トーン自体は、ライトなハードボイルドという感じ。

今回は本格ではありませんが、「野良猫嫌い」、「失踪」、「黒い毛皮の女」には、少し本格っぽい香りもします。

まさか犬の事件の時にはハードボイルドで、猫の事件の時には本格っぽさを少し出してる、わけではないと思うのですけども。どうなんでしょう? そういう書き分けをしてるんでしょうか?

ハートウォーミングな結末ではありません。むしろ、どことなく後味の悪さの残る、人間のダークな部分を描こうとしています。

猫さらいや少年犯罪、ペットをめぐる人間の虚栄心など、現代人の抱える心の闇をさまざまな事件を通して(えぐるという感じではなく)、さらりと描いています。

えぐるのではなくさらりと、というのは、この作品がハードボイルドという形式を採っているからでしょう。結局は、探偵は外部に立って、「我関せず」の態度を貫いています。

しかし、探偵の「私」は、その割には結構頑張って調査に奔走するところに好感が持てます。

そして、何より作者も「私」も、作中に登場するペットの飼い主たちとは違う位置に立っていながら、より本質的な愛情に根ざしたまなざしで動物たちを見つめていることが伝わってくるところが、読んでいて安心できるところではないでしょうか。

ネット上の書評ではそんなに評価は高くないのですが、個人的には好きです。

「動物に優しくなければ生きていく資格が、ない」

というチャンドラーを援用(?)した帯文もいいなと思います。

京都在住の人や動物好きの人に。。。

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2006年12月18日 (月)

怪盗グリフィン、絶体絶命

『本格ミステリ・ベスト10 2007』のマイ・ベスト5の中でも取り上げさせていただいたのですが、昨年読んだものの中で、とくに印象に残ったものとして、

法月綸太郎『怪盗グリフィン、絶体絶命』を挙げておきます。

ニューヨークの怪盗グリフィンに、ロバート・F・オストアンデルを名乗る男から、メトロポリタン美術館が所蔵する、ゴッホの『自画像』を盗んでほしい、という依頼が舞い込む。「あるべきものを、あるべき場所に」が信条の怪盗グリフィンは、その依頼に対して、ある作戦で応じるのだが、やがて危機一髪の立場に追い込まれてしまう。

かろうじて命をとりとめたグリフィンは、CIAの極秘オペレーション〈フェニックス作戦〉に巻き込まれ、その指令のためにカリブ海のボコノン島へ向かう。ボコノン共和国のパストラミ将軍が保管している人形を奪取することがその指令の内容だった。グリフィンの華麗なる盗みと冒険が展開されてゆくのだが・・・・・・

法月綸太郎のノン・シリーズものの『怪盗グリフィン、絶体絶命』ですが、作品のスピード感と逆転に次ぐ逆転の展開は、さすがプロット重視の氏の本領が発揮されていて、ミステリーランドというレーベル(児童書)ではありながら、大人も楽しめる良質のミステリーといえるでしょう。さらに〈怪盗もの〉でありながら、結末にはグリフィンによる〈謎解き〉も用意されていて、さすが〈本格原理主義者〉を標榜する氏の主張のようなものも感じられます。アメリカのハードボイルドの味付けをされた〈怪盗もの〉のミステリですが、実は〈本格〉を主張している、という。

さらに、この作品について注目しておきたいのは、表向きは児童向けの冒険活劇の顔をしていながら、裏の顔では、立派な〈アメリカ〉批判となっているところ。田中宇の『アメリカ「超帝国主義」の正体』アメリカ「超帝国主義」の正体 を参考文献に挙げていることだけでなく、これまでの氏の評論活動からもうかがえる部分でもあるし、作中の架空の地名ボコノン共和国をめぐる偽史〈サン・アロンゾの虐殺〉などが、〈アメリカ〉の〈歴史〉と接続されて語られる点(ちなみにここはカート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』猫のゆりかご へのオマージュ)、そして、グリフィン自身がCIAの指令で動きながら、そこには常に懐疑的であり、取り込まれてゆかない点など、全編にわたり作者の政治的な主張が、染み渡っている。

児童書であるべきミステリーランドでそのような政治的な部分があることに難色を示す人もあるかもしれないが、今は学校教育で〈愛国心〉が刷り込まれてゆく時代。これぐらいの〈抵抗〉はむしろ必要であるといわなければならないだろう。それに〈政治的でない〉というあり方は不可能であり、ニュートラルであろうとすることも、〈骨抜き〉という政治性に見まわれているともいえるのだから。

もちろん、作者が政治性の〈刷り込み〉を子供たちに向けて行なっている、と言っているわけではない。正確には現在のアメリカのネオコンによる世界支配に対する、一つの声として〈本格ミステリ〉の立場から楔を打ち込もうというのが作品のねらいなのだろうと考える。

最後に、この作品の舞台が〈カリブ海〉に設定されていることには、ある作家のある作品の影響があるのでは・・・・・・と考えているのだが、それについては、もう少し調べてから・・・・・・

とにかく、せっかくなのでシリーズ化してほしい。ミステリーランドでなくてもいいので。

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