映画『SAYURI』を観た
昼過ぎまで寝てから、カイロプラクティックに行って、体のあちこちをパキパキ鳴らしてもらった。
そのあと、映画ファースト・デイ(1000円)ということで、MOVIX京都で『SAYURI』を観てきた。
世間の評判は微妙なようだが、(いまひとつという声もいくつか聞いたが)僕は面白かった。
女性同士の確執、まさに女の闘いが繰り広げられる中で、孤独を乗り越え、芸者としての栄光の舞台に登ってゆくSAYURIの「想い」には納得させられるし、その運命には感動させられる部分もある。
ひたすら〈女〉が描かれている作品。
〈女〉の恐ろしさ、強さ、〈女〉という身体に生まれてしまったことによる哀しみ、そして、それを利用さえもするしたたかさ。
しかし、女同士のドロドロだけではなくて、その中に一服の清涼剤のように、渡辺謙が用意されている。
チャン・ツィイーがいい。英語云々もそうだが、目の演技、手の演技、表情の演技、これは〈日本〉の女優さんには無理なんだなって思った。〈日本〉の女優さんは綺麗な人はいっぱいいるが、知性と演技力の部分においては、レベルは決して高くないと思う。
ただし、桃井かおりと工藤夕貴はさすがだった。ハリウッド礼賛をする心算はないが、とくに工藤は海外で仕事をやってきただけあって、その演技力は見事であった。彼女の役は、とくに重要だったように思う。
このクラスまでいくといるのだろうけど、つまり、20代でチャン・ツィイーに及ぶ女優がいなかった、というのが、正直なところなのではないだろうか。
ただし、工藤の演じる「おカボ」が「PUMPKIN」と呼ばれることには、最後まで抵抗があった。考証もめちゃくちゃだったようだし。
あとコン・リーと役所広司がよかった。
コン・リーは本当に存在感があったし、役所広司の不器用な男は、まさに彼の本領発揮。
そして何より、子役の大後寿々花。
この子は来ますよ。
将来が楽しみです。
ロリコンではありませんよ。
彼女の無垢で、清清しさを感じさせる演技には、脱帽。
ただ、考証のこととも関わるのだけれども、この映画の〈日本〉イメージは、オリエンタリズム〈上〉 以外の何物でもない。
それと英語による言語帝国主義のことをずっと考えていた。その疑問が極点に達したのは、GHQが入ってきた時に、温泉の場面にしても何にしても、彼らが何語で話しているのかが、わからなくなったところだ。
また、〈中国〉政府がこの映画を上映禁止にしたそうだが、どこの〈国〉でも情報政策に関わる人間は、本当に愚かなものである。
芸者と〈従軍慰安婦〉(名称として適当でないが)は違う。
もちろん〈従軍慰安婦〉は明らかな性暴力であり、そのことの批判は免れないし、今後もいろいろとその研究は進められなければならない。言及も止めるわけにはいかない。
が、〈中国〉政府のその政策は情報統制によるナショナリズムの昂揚をねらった情報政策以外の何物でもない。
どんな作品でもとりあえずは見て、議論を深めたいところである。
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